近況を書きます。

<本当の近況>
領収証の清算が迫る今日、夜自宅に戻って頑張ってお仕事。
自宅で仕事がとにかくできない。ビール、インターネット、テレビ。そりゃそうか。
何とか書き終えて、とりあえず今日のノルマ終了、なんか手持ち無沙汰になってきた。自分のブログでも読み返してみるか。て、最近全然書いてないやんけ。
あ、悪の花が面白いです。漫画の方ね。


何から書くか迷うけど、思いついたことから書くよ。文書なんて、最近書かないから、絶対に酷いものになるのはわかりきってるんだけど、書いてる途中に一度でも醒めてしまったら、きっとそこで諦めて、アップするのも辞めると思うので、深く考えず、思いついたことをひたすらタイプ。タイプ。最近はスポーティな子がタイプ。最近でもないか。


えー、今は福島県の相馬市に住んでおります。仕事の都合上。
相馬市というのがどこにあるのか、まあぐぐっていただけりゃ済む話なのですが、人に説明する場合、
ここが東京、ここがニューヨーク、ここがロンドン、パリがこの辺で、で、相馬がここ。
と、説明しております(真顔)
簡単に言うと、福島県浜通(福島県会津、中通、浜通の3つに分類、浜通は文字通り、太平洋側)北部、むしろ宮城県境で、仙台圏ともいえる。
家から海まで車で15分。海が近い、というのは今までは初めて(埼玉→岩手内陸→群馬→調布市)、波音と、太平洋から昇る太陽が好きで、暇な朝に、ふらっと海へ行ったりする。
ご存知の通り3.11では津波による甚大な被害を受けており、海近くの住宅地(だと思われる)は基礎だけ残し、すべて撤去されていたり、浜はあるのだけれどゴミが散乱しており、海水浴は禁止されている。


街中もそれなりに被害が出たのらしいが、僕が始めて相馬へ赴いた2013年3月には、ほとんど震災の面影は見当たらなかった。
今働いている現場の向かいに瓦礫処理場があること、公園や公共施設の野外に空間線量計が置いてあるぐらい。


で、何で僕が相馬へ来たのかというと、まあ、仕事の都合でありまして、要は仕事としてここへ呼ばれているわけであります。
一応、復興支援としての事業でありまして、まあ、私も東北人の端くれとして、そういった仕事に携われるのは誇りであります。
3.11後の東京で、何が辛かったといえば、まだ被災地に電力も回せない中で、東京ではガソリンや日用品を求めて、一種のパニックになっていました。
僕の仕事上、燃料は必要不可欠でありまして、社内でも大分問題になりました。が、自分としては、そんなのでいいのだろうかという気持ち。
自分の仕事とは、ある意味娯楽で、生きるのには直接必要無いのではないかと、歯がゆい思いがありました。
まあ、そんなわけで、今相馬で仕事をしているのは、あの頃の歯がゆさを乗り越えるためにやってる思いです。


僕の会社は基本関東近郊を仕事場にしている小さな会社でして、今回の福島というのは異例であります。
仕事が決まったとき、誰を行かせるのかで、議論というか推測がありました。
当時自分は、現場を持って責任を負って頑張りたいという思いもありましたが、何せ場所が場所です。困ったときに先輩や上司を呼んでみてもらうわけにもいきません。
内容を聞いていると規模がでかいし、クライアントは某大手だし、地元の業者を指揮して管理していかなきゃいけないし、ということで、自分には高すぎるステップ。せめて後2,3年経験が積めれば。
でも、東北という言葉、復興という言葉、新しい現場という言葉、ひかれていました。とはいえ、自分から立候補するほどの度量も無い。周囲の喧騒の中、割と静かに悩んでいました。
で、どうしたかというと、静観。この件について周りが「誰行(逝)かせるよ」という話題になっても『さあ?』『社長が決めることねん』と白を切っておりました。
そうこうするうちに社長から「お前、福島行くか?」と直接言われ、そこで腹を決めました。
まあ、僕になったのは、ある意味消去法だったと思います。前途した通り、自分には厳しい。それでも、住居や東京での現場を含めて、福島へ単身送り込むのは僕しかいない。
鉄砲玉みたいなものです。そもそも、自分自身会社の中ではそういう立ち位置でした。
とはいえ、送り込んでもらえれば後はこっちのもの。ここで結果を出す。かなりのモチベーションで乗り込みました。勿論今も。


会社でアパートを借りてもらい、東京のアパートはそのまま(といっても、今は月に1泊前後。勿体無い)、4月末から現地入り。そこから6月末まで工事。休みゼロ。
7月から管理になり、それなりに落ち着くも、東京の方で工事物件があり、呼ばれる。
東京に戻って会社の人と会うと、ほっとする。工事中なのでのんびりはできないけど、やっぱり同じやり方で共通認識があるから、説明がかなり省ける。
相馬では管理を地元の業者へ指導する名目で来ている。指導相手が40代、50代だったりするのだが。それでも、みんないい人たちで、僕みたいな若造の声をよく聞いてくださる。
管理に入ってから、とにかく余裕が無くて、すごくしんどかった。ここのところ、ようやく軌道に乗った感があって、周りとのコミュニケーションも良くなってきた。でもまだ、油断はできないけどね。
やらなきゃいけないことが多くて、今になって、上司の言うとおりやってた時代は楽だったなあ、そのときは自分だったらこうするのにとか思って苛々してたけど、何も考えず作業するというのは本当に楽だと実感。
それでも、自分の現場というのは何よりも代え難い。いくらでも頑張れてしまう。


まあそんなこんなで、新しい場所で仕事をしている。これは自分にとっては結構、面白いことで、理想的である。
有名な場所をやりたい気持ちもあるけれど、何も無いところから、自分で一から作る。それは本当に骨が折れて、正直もうこりごりだという気持ちもあるんだけれど、自分がやりたいことって多分こういうことなんだと思う。
一応、指導は3年という契約になっていて、それ以降どういう関係になるか、スッパリ切れるか、追い出されるか、よくわからないけれど、この3年間というのは、人生の中でもすごい3年間になるのではないかなと思っている。
3年後、僕は31歳になって、仕事人としてはいよいよ全盛期に入る。それから、どんな仕事ができるか、どうなってるのか、楽しみではある。



それでも、ちょっとやっぱり寂しい。
東京にいた頃も、友達は増えなかったし、もともとの友達とも、そこまで一緒に遊ばなかったので、別に相馬に来てからどうのというのは無いはずなんだけれど、どこかで空虚さを覚える。
年を取ったのかもしれない。同年代の人間はみんな結婚するなり、子供を持つなり、しているわけで、果たして自分の生き方ってどうよ?と思うことも少なくない。
ただ、自分にはこうするしかできない気もする。折り合いを付けるしかないのか。


ま、そんな感じで、元気です。
次はもうちょっとこまめに書きたいものですね。
最近の近況は、facebookに書くのが主なので。