ここ10年を振り返ってみました。

ここ10年のハイライト

(★の数はブログにしたら面白いかどうか)

【2013.4】福島県に移住、現場担当を始める★

→この辺のことは、ここら辺(https://aswanjey.hatenadiary.org/entry/20130812/1376317133 )に書いてます

【2015.10】地元の業者さんと揉めて、東京へ戻る★

【2015.12】スーパーボウル連れてってくれなかった腹いせに、一人ドイツ旅をキメる★★★★

【2015.12】ドイツから帰ってきて海外ハイのまま街コンに行ってナンパしてデート初日に告白して付き合う、初カノにして後の奥さんである★★★★★

【2016.11】彼女に会いに行くのが面倒→同棲する?→お父さんが婚約しなきゃ同棲はダメ、というベタな理由で婚約★★

【2017.6】上司が鬱で休職(結局3ヶ月で戻る)、代役を任され死にそうになる★★★★

【2017.10】スーパーボウルは連れてってもらえなかったけどロンドンに連れてってもらえる。ビール美味しかったな(小並感)★★★

【2018.6】親族のみ集めて明治神宮で挙式★

【2018.12】東京の職場の人間関係が悪化、社長に直訴する★★

【2019.3】奇跡的に希望が通り千葉某所の新規現場に配置換え★

【2020.4】現場オープン、と共にコロナ禍突入。社長の介入が酷くてストレスで腰痛発作。★

【2020.4】流石に国分寺から千葉まで通うのは便が悪いので東京東部へ引っ越し、ペット可住宅にして奥さん念願の猫を飼う★★★★

【2021.7】オリパラ。地獄の3ヶ月★★★

【2022.5】生きている。スティル・アライブ★

 

こうして振り返るとやはり今の奥さんに出会えたのがここ10年で一番のターニングポイントと言える。

奥さんは私の人生を「わりかし波瀾万丈」と述べており、第一印象は「危ない薬でもキメてるんじゃ?」だったらしい(ドイツ帰りで酔ってた)、よくもまあそれでデートに付き合ったよなあという感想です。

書く気力があればそれぞれのエピソードを書き起こしたいけど、うーんどうでしょ、という感じです。

私です。

どうも、私です。

ご無沙汰しております。

生きてる人、いますか?

 

久しぶりに10年前の日記を読み返した一言。

ああああぁ、アオイなあああ!

他人のフリしたいくらいのアオさ、しかし書いたのは紛れもない、ワタシ!

 

というわけで(?)、日記も悪いものではないよねということで、たまには書いてみようかな。

と言って、四半世紀が過ぎるのであった。

移設のお知らせ。

大変、ご無沙汰しております。
この度、ブログを移設するお知らせをいたします。


ちばろぐ
http://chibayutaka-blog.tumblr.com/


そうです。タンブラーです。
世界はリブログです。リブログの意味分かってないけど。
いいからリブログだ!


こちらのブログは、また1年近く放置した後、削除する予定です。
tumblrでは写真中心にポツポツ投稿していくので、気が向いたときに覗いてください。<ざっくり近況!>
住まいは東京都F市ですが、春に引越しを希望している状況です(できればK市)
仕事は相変わらずボチボチ怒られながらやってます。
彼女ができました。ハンコ持ってこーい!
なんだかんだ毎日それなりに楽しくやってます。
好きなビールは一番絞りとYEBIS

近況でも書きまして。

<動機>
夜月さんから誕生日祝い私信をいただきまして。


さて、4月12日で30になりました。さらば私の20代。
前日まで、水戸で5泊6日の工事遠征があって、機械の回送がてらセーフティローダーで相馬に戻り(常磐自動車道は3月1日に全面開通されました。ありがとうネクスコ!くたばれ○面!)、当日12日はバスで仙台に行き(常磐線の復旧はまだまだ先)、クリープハイプのライブを観にいきました。
クリープハイプ直近のアルバムの中に「二十九、三十」という曲があって、この曲は同年代30歳の男に向けた歌で、「いつかはきっと報われる」で始まり「前に進め」で終わるんですが、30歳の誕生日に、この曲が聴けたらいいなあと思っていきました。
が、僕が行ったツアー後半のセットリストからは外れており、聴けなかったのですが・・・(しかも、ツアー最終の日比谷野音のダブルアンコールでやるという結末・・・)
それでも、ライブは楽しかったです。初めて、ホールライブの、しかもチケット取るのが遅くて3階席だったんですけど、ホールってみんな、1階にも座席があるのが新鮮でした。ライブハウスとか比べるとすごく密度が薄い感じ。でも「聴く」のはちょうど良いのかも。
あと、知ってはいたのですけど、客の女子率が高くて肩身が狭かったです。知ってたけどさ。


クリープハイプも同年代でして、昔は音楽をやってる人ってにーちゃんねーちゃんなイメージだったのですが、ぐっと近くなってしまって、そのせいなのか、はたまた関係ないのか、わりかし、若者が好みそうなバンドを聴くようになってしまいました。
まあ、そんな中でも好き嫌いはありますが。
4月には人生初めて、ロックフェスというリア充ご用達イベントに行ってきました。アラバキですけど。勿論ぼっちでしたけど。
感想とてしては、やはりぼっちでは辛い。意外と空き時間があるので、ビール飲んでご飯食べて、知らないバンドを見ても、空き時間がどうしても出てきてしまう。寝ると風邪引く(笑)ので、日帰りでもベースキャンプは必要。1人だといろいろ大変。
あと、一、二で見たかったKIRINJIとthePillowsが被ったのが本当に痛かった。最後までどっち行くか迷って、先に始まるピロウズを2曲見てキリンジに行ったんだけど、正直後悔してる。まあいいや、この話は。
なんとなく見に行ったゲスの極み乙女。が思いのほか(失礼)演奏も声もしっかりしてて、良かった。

あとはビールを飲みまくった。
大人になったら、もっと大人な曲を好むんだと思ってた。とはいえ、具体的になんだと言われても困るけど。
でも、昔はロキノン系アーティストとか、全然好きじゃなかったんだけどね。よくわからんわ。


というわけで30になった。
最近は、許すというか、どうでも良いことはどうでも良いと処理できるようになった(笑)気がする。
考えること、察することが多くなって、そんなところまで構ってられないというか。逆に、自分の処理能力が落ちてるのかも知れない。
それがいいことなのかどうかはわからないけれど、自分としてはそうするしか無い。
逆に、拘りの多い人間や、上から目線の人間に、ものすごく嫌悪感を抱く。自分も拘りが強かったり、上から目線だったりするんだけど、まあ同属嫌悪というか。うーん。
特に拘りというのは、その条件じゃなきゃ駄目!というものなので、それって煩わしいし、付き合ってる人間もかったるいなあ、と思う。


自分の仕事は、言ってみれば条件との戦いであって、もうそりゃ仕事しながら、こうだったら、ああだったら、ということばっかり考えて、でもそんなこと言っても条件が代わるわけないしな、場所が変わればまた条件が変わって、何かしらの悩みが出るんだろうな、と思う。
だからその場にあるもので、有り合わせでもいいから、組み立てていかなければならない。スヌーピーの名言に「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」という名言があるが、これが面白いのはまさに犬のスヌーピーがこういってるわけである。


自分の立ち位置は、「フランチャイズされたラーメン屋の店主」だと思ってる。
麺の仕入れから、包丁のチョイスまで、すべて暖簾分けしてもらった親方が選んだ道具、方法。教わったとおり豚足を煮込みながら、どこかアレンジできる余地がないか実験している(でも、大体先人が試して却下していたりする)
そんなタオルだけいっぱしに巻いた店主に、何ができるか。バイトをいじめるぐらいか(嘘)



入社5年目にしてセーフティローダーを運転した。今までは免許はあったけど、ひたすら、助手席orお留守番。
ずっと乗りたかった憧れの車に乗れて、余は満足也。
セーフティローダーにトラクタを乗せて現場に向かうのが、フレッシュマンJeyのひそかな夢であったが、5年目にしてようやく叶い、本当に嬉しい。
が、この先何を目指すのかわからなくなってる。まあ、正直、出たとこ勝負だったりもするんだけど、一通りやれて満足してしまっている自分もいるわけで。
会社を辞めて何をできるわけでもなく、でも惰性で会社に残ってるのもだせーなって(は?
今は、もう一度、人の下でやってみたい。作業者としてひたすらスキルアップしたいと思っているが。


文脈も、文才もない中、読んでて不快に思われた方すみません。
最近の近況でした。
あ、アメリカンスナイパーは映画館で観ました。本当、映画館で観てよかったです。観た後、1時間ぐらい何もできずに、外のベンチで動けなくなってました。すごい映画です。

個人的メモ。

2泊3日で東京の本社へ行ってきた。


三つ子の魂百まで。40過ぎたら人間変わらないと思っていた。それは真理だと思うけれど、自分とその人との評価だったり、信頼だったり、そういうパイプ的なものは変わる。


facebookSNSでは「自分の為のログ」を残すのが難しく感じる。


仕事は季節柄、大分落ち着いてきた。
総括をしたいと思っているんだけど、そういう時に限って、なかなか落ち着いて考える時間がない。


結局、他人に期待するのが大部分だったりする。


来年は、いよいよ3ヵ年計画最終年になるので、まあ、あんまり肩に力入れてもあれだけど、「力の入れどころ」を考えながら、3年の先を見ながらの仕事になりそう。
肝心のその先であるが、全く見えなくて、このままだと、会社を辞めるのも一手だな、と。自分でそう思ってビックリしている。クビこそあれ、まさか自分から辞める考えを持つなんて。


誰かを愛してみたいと思う。
まだ愛しいという感覚がわからない。酷いこと。


会社から距離的に離れて仕事をしていると、まあ結論を言えば「勉強になる」のだけれど、正直結構しんどい部分も多くて、何より、愚痴を言える相手が全くいないのが、苦しい。
大人ってこういう事なんだなあ。めんどくせ。

近況を書きます。

<本当の近況>
領収証の清算が迫る今日、夜自宅に戻って頑張ってお仕事。
自宅で仕事がとにかくできない。ビール、インターネット、テレビ。そりゃそうか。
何とか書き終えて、とりあえず今日のノルマ終了、なんか手持ち無沙汰になってきた。自分のブログでも読み返してみるか。て、最近全然書いてないやんけ。
あ、悪の花が面白いです。漫画の方ね。


何から書くか迷うけど、思いついたことから書くよ。文書なんて、最近書かないから、絶対に酷いものになるのはわかりきってるんだけど、書いてる途中に一度でも醒めてしまったら、きっとそこで諦めて、アップするのも辞めると思うので、深く考えず、思いついたことをひたすらタイプ。タイプ。最近はスポーティな子がタイプ。最近でもないか。


えー、今は福島県の相馬市に住んでおります。仕事の都合上。
相馬市というのがどこにあるのか、まあぐぐっていただけりゃ済む話なのですが、人に説明する場合、
ここが東京、ここがニューヨーク、ここがロンドン、パリがこの辺で、で、相馬がここ。
と、説明しております(真顔)
簡単に言うと、福島県浜通(福島県会津、中通、浜通の3つに分類、浜通は文字通り、太平洋側)北部、むしろ宮城県境で、仙台圏ともいえる。
家から海まで車で15分。海が近い、というのは今までは初めて(埼玉→岩手内陸→群馬→調布市)、波音と、太平洋から昇る太陽が好きで、暇な朝に、ふらっと海へ行ったりする。
ご存知の通り3.11では津波による甚大な被害を受けており、海近くの住宅地(だと思われる)は基礎だけ残し、すべて撤去されていたり、浜はあるのだけれどゴミが散乱しており、海水浴は禁止されている。


街中もそれなりに被害が出たのらしいが、僕が始めて相馬へ赴いた2013年3月には、ほとんど震災の面影は見当たらなかった。
今働いている現場の向かいに瓦礫処理場があること、公園や公共施設の野外に空間線量計が置いてあるぐらい。


で、何で僕が相馬へ来たのかというと、まあ、仕事の都合でありまして、要は仕事としてここへ呼ばれているわけであります。
一応、復興支援としての事業でありまして、まあ、私も東北人の端くれとして、そういった仕事に携われるのは誇りであります。
3.11後の東京で、何が辛かったといえば、まだ被災地に電力も回せない中で、東京ではガソリンや日用品を求めて、一種のパニックになっていました。
僕の仕事上、燃料は必要不可欠でありまして、社内でも大分問題になりました。が、自分としては、そんなのでいいのだろうかという気持ち。
自分の仕事とは、ある意味娯楽で、生きるのには直接必要無いのではないかと、歯がゆい思いがありました。
まあ、そんなわけで、今相馬で仕事をしているのは、あの頃の歯がゆさを乗り越えるためにやってる思いです。


僕の会社は基本関東近郊を仕事場にしている小さな会社でして、今回の福島というのは異例であります。
仕事が決まったとき、誰を行かせるのかで、議論というか推測がありました。
当時自分は、現場を持って責任を負って頑張りたいという思いもありましたが、何せ場所が場所です。困ったときに先輩や上司を呼んでみてもらうわけにもいきません。
内容を聞いていると規模がでかいし、クライアントは某大手だし、地元の業者を指揮して管理していかなきゃいけないし、ということで、自分には高すぎるステップ。せめて後2,3年経験が積めれば。
でも、東北という言葉、復興という言葉、新しい現場という言葉、ひかれていました。とはいえ、自分から立候補するほどの度量も無い。周囲の喧騒の中、割と静かに悩んでいました。
で、どうしたかというと、静観。この件について周りが「誰行(逝)かせるよ」という話題になっても『さあ?』『社長が決めることねん』と白を切っておりました。
そうこうするうちに社長から「お前、福島行くか?」と直接言われ、そこで腹を決めました。
まあ、僕になったのは、ある意味消去法だったと思います。前途した通り、自分には厳しい。それでも、住居や東京での現場を含めて、福島へ単身送り込むのは僕しかいない。
鉄砲玉みたいなものです。そもそも、自分自身会社の中ではそういう立ち位置でした。
とはいえ、送り込んでもらえれば後はこっちのもの。ここで結果を出す。かなりのモチベーションで乗り込みました。勿論今も。


会社でアパートを借りてもらい、東京のアパートはそのまま(といっても、今は月に1泊前後。勿体無い)、4月末から現地入り。そこから6月末まで工事。休みゼロ。
7月から管理になり、それなりに落ち着くも、東京の方で工事物件があり、呼ばれる。
東京に戻って会社の人と会うと、ほっとする。工事中なのでのんびりはできないけど、やっぱり同じやり方で共通認識があるから、説明がかなり省ける。
相馬では管理を地元の業者へ指導する名目で来ている。指導相手が40代、50代だったりするのだが。それでも、みんないい人たちで、僕みたいな若造の声をよく聞いてくださる。
管理に入ってから、とにかく余裕が無くて、すごくしんどかった。ここのところ、ようやく軌道に乗った感があって、周りとのコミュニケーションも良くなってきた。でもまだ、油断はできないけどね。
やらなきゃいけないことが多くて、今になって、上司の言うとおりやってた時代は楽だったなあ、そのときは自分だったらこうするのにとか思って苛々してたけど、何も考えず作業するというのは本当に楽だと実感。
それでも、自分の現場というのは何よりも代え難い。いくらでも頑張れてしまう。


まあそんなこんなで、新しい場所で仕事をしている。これは自分にとっては結構、面白いことで、理想的である。
有名な場所をやりたい気持ちもあるけれど、何も無いところから、自分で一から作る。それは本当に骨が折れて、正直もうこりごりだという気持ちもあるんだけれど、自分がやりたいことって多分こういうことなんだと思う。
一応、指導は3年という契約になっていて、それ以降どういう関係になるか、スッパリ切れるか、追い出されるか、よくわからないけれど、この3年間というのは、人生の中でもすごい3年間になるのではないかなと思っている。
3年後、僕は31歳になって、仕事人としてはいよいよ全盛期に入る。それから、どんな仕事ができるか、どうなってるのか、楽しみではある。



それでも、ちょっとやっぱり寂しい。
東京にいた頃も、友達は増えなかったし、もともとの友達とも、そこまで一緒に遊ばなかったので、別に相馬に来てからどうのというのは無いはずなんだけれど、どこかで空虚さを覚える。
年を取ったのかもしれない。同年代の人間はみんな結婚するなり、子供を持つなり、しているわけで、果たして自分の生き方ってどうよ?と思うことも少なくない。
ただ、自分にはこうするしかできない気もする。折り合いを付けるしかないのか。


ま、そんな感じで、元気です。
次はもうちょっとこまめに書きたいものですね。
最近の近況は、facebookに書くのが主なので。