大嫌いだということを直接言えなかった人に、大嫌いだと言えるようになったかもしれない。

彼の名誉のために書くと、彼自身、間違いなく好青年でした。
彼のどこが嫌いなのかは上手くいえない。好きの反対は無関心、嫌も好きのうち、などとよく言われるので、ひょっとしたら彼のことが好きなのかも知れない。



たとえば、僕と彼が、武道の道を歩んでいたら、きっと対決しただろう。気に入らないからだ。上下をつけずにはいられなかっただろう。
それで勝つなり負けるなりして、白黒つけばよかった。上下ではない、白黒だ。勝ったほうは一息つくし、負けたほうは汗を流す。その連続でいい。
だがしかし、僕たちはそういう道で出会えなかった。彼と関係がなくなって1年経つ今でもなお、僕が彼に対して屈折した感情を抱いているのは、きっとここら辺が原因であると思われる。



彼が僕のことをどう思っていたのかさえ、僕にはわからない。
僕自身、彼に面と向かって自分の感情を伝えたことはなかった。ただ、隠し切っていた自信はないし、むしろその先の妬みや憧れといった感情すら読み取られていたのかもしれない。
何故伝えなかったかというと、単純に僕がヘタレであった。いい年こいて個人的な感情で揉めたくなかったし、彼と表立って敵対すると、彼中心のコミュニティから疎外されてしまう恐怖があった。
実際、彼の悪口をよく聞いたが、それでも彼はコミュニティの中心であり続けた。不思議な人だと思った。出る杭が打たれる日本において、なお人の上に立てる人というのは、こういう人なのかもしれない。



彼に対して、僕は屈折した感情を持っていた。
負けたくないと、思っていたのだ。
勝負事ではないことも、彼よりよい結果を目指した。しかしながら、彼を意識していることを彼や周りに悟られたくなかったので、なかなかしんどいものだった。
『アイツのことなんて何一つとして意識してないけど、すべてにおいて俺のほうが上だ』という誰が見ても矛盾した感情を抱いていた。
べ、別にあんたのことなんかどうでもいいんだからね!
彼が失敗した話を聞くと内心喜んだ。呪ったこともあったかもしれない。まったく健全じゃない。



ただ、僕が僕より優れているすべての人に対して、こういう感情を持っているわけではない。
というか、今のところ、彼に対してしかない。
何故彼だけなんだろう。
これは僕の完ぺきな主観であり、ともすると言いがかりなんだけど、彼自身、そういったものを誘う匂いを持っていた、と思う。もっと言えば、彼自身、僕に対して優劣をつけたがっていた気がする。



彼とは2人っきりで飲んだこともある。家にお邪魔したことも、招待したこともある。
でも僕は彼にしたいして自分の気持ちを話すことはなかったし、故にどこか適当に付き合っていたのかもしれない。
これって結構失礼だったのかもしれない。個人的な感情で嫌いならそう言えば良かったのかもしれない。僕自身、直接言ってくれればと、たまに思う。たとえそれで傷ついても、いってくれたこと自体は、誠実だと思う。



誠実。
実は彼と『誠実さ』について話したことがある。
自分の好きな女性に対してどうやったら『誠実さ』を示せるか、みたいな話をしていた。
今でも、誠実なんて言葉は、訳がわからない。もし僕が他人から評価されない理由が誠実さなら、糞食らえだと思う。そう思う自分は多分、自分に対して誠実だろう。



好む好まざるに関わらず、彼とは、もう一度会う気がする。
昔は、面と向かっていえなかった。それは、周囲に対する配慮であり、僕の度胸のなさであった。
今度会ったら、言えそうな気がする。我々は席に着き、笑みを交わすだろう。その笑みは果たして『誠実な』ものなのだろうか。
ビールを人数分頼む。きっと2人だけではないだろう。ビールが運ばれる前に、乾杯の前に、僕は彼を見据えて言うだろう。場が壊れるかもしれない。席を立つ人が出るかもしれない。だけれども僕は言うだろう。僕のために、そして僕の彼に対する精一杯の誠実さのために。