中村俊輔の『察知力』を読んで。

自分の思い通りにいかなかったときに、失敗という言葉が浮かぶ訳ですが、何が上手くいかなかったのか、原因はなんなのか、自分の中にあるのか外にあるのか、今からやり直して失敗を防げるのか、そういうことを分析して、言葉にしておかないと、前進は望めない。
目に見えないもの、言葉で表せないもの、それ自体を否定するわけではありませんが、人と人とのコミュニケーションにおいて、言葉で表せないことをわかってもらう、なんて甘え以外なんでもないわけで。同じ理論を、他人から明日の自分に置き換えても、同じように考えられるわけ。
悔しいと感じたら、何がどう悔しいのか、明日の自分へ、言葉に残しておかないと、ただ悔しがって終わりになってしまうわけで。
そういう意味では、その日の出来事をしっかりと書き留めておくことって大事なのかもねーって思った。
日記って本来そういう意味をもったものなんだと思うけど、他人に公開してる時点で、書けないことが増えてきたなあと思う。



なーんてことを中村俊輔著『察知力』を読みながら思った。
中村俊輔選手は高校2年の頃から現在に至るまでサッカーノートに記していたらしい。
中村選手のキャリアというのは決して順風満帆ではなかった。中3の頃はレギュラーから外され、マリノスユースのセレクション落選、本職ではないポジション、レッジーナの守備的サッカー、極めつけは2002年W杯メンバーの落選。
そういった「不遇」に対して、不貞腐れるのでもなく、逃げるわけでもなく、「何が足りないのか」を愚直なまでに追い求めているということが、この本からわかる。
ありふれたサッカー選手の伝記ではなく、物事に対しての姿勢を学べる、いい教科書だと思いました。

察知力 (幻冬舎新書)

察知力 (幻冬舎新書)



それだけじゃなくても、最近の自分の物忘れ力は異常。
これが歳をとるということなのかしら。