先日の追いコンに寄せて。

卒業おめでとう。
お祝いに駆けつけられなくて本当にゴメン。



皆さんの卒業に対する一番の感想は、さびしい、です。
晴れがましいでもなく、嬉しいでもなく、ただただ、さびしいのです。
当然、君たちが卒業しても、個々の関わりは変わらないかもしれない。それでも、もう君たちがリーダーでないこと、フラっと事務所に寄ったら会えるような気軽さはなくなってしまうのです。
そう考えると、サークルというのは入れ物なんだというのがわかります。4年経てば中身は一新し、わからない顔だらけになってくるわけです。



最近は、距離的に遠くなってしまい、何の関わりももてなくなってしまっていますが、たまに、向こうにいる君たちのことを思います。
実質的に手を出せなくなった自分に、何ができるだろうか。
一番手っ取り早いのは、お金を出すこと。維持会員になること。
ただ、それが唯一無二なのか。というと、そうではないと僕は思います。
もっと別な方法、たとえば、突然L会に参加してみたり、活動を見に行ってみたり。そこで積極的に意見を述べる必要はない。求められたことだけ、簡潔に伝えればいい。
たとえば、事務所に突然来て、床を磨くとか。飲みに連れ出すとか、そういうのだって、アリだと思ってます。
何でこんなことを書くかというと、僕が現役時代に感じたのが、OBの不干渉さ。というか自分の活動の歴代OBがわからないぐらい。もっと関わって欲しい、OBだけで固まらないで欲しい、と思ってました。まあ、あんまり口を挟むのも良くないのだけれど。
OBOGとして何ができるのか、直接的に関われなくなってから何ができるのか、一緒に考えてみませんか?



何故、僕がこんなにも『入れ物』へ拘るのかといえば、種を捲いたという自覚があるからです。
子供に、他のリーダーに、そして君にも、言葉を使って僕自身を植え付けた、という自覚。
そして君も、多分今日まで、色んな人に種を捲いた。僕にも。
その種が芽が出て、花が咲くのは、これからなんだ。自分の捲いた種が根付き、または風に運ばれ、多くの支えと時間を乗り越えて、花が咲く。そういう、メグリメグル奇跡を僕は信じてるし、自分が捲いた種がきっと綺麗な花になることを信じている。
だからこそ、入れ物に拘るのかも知れない。



君たちのことが、好きです。
君たちの笑顔にいつも癒され、話は楽しかった。君たちみたいな後輩に恵まれて本当に幸せだったと、思っています。
卒業おめでとう。これからもよろしく。