紳士であること。

「人生には理想なんてもの必要ない。必要なものは行動規範だ」



「ねえ、永沢さん。ところであなたの人生の行動規範っていったいどんなものなんですか?」と僕は訊いてみた。
「お前、きっと笑うよ」と彼は言った。
「笑いませんよ」と僕は言った。
「紳士であることだ」
 僕は笑いはしなかったけれどあやうく椅子から転げ落ちそうになった。「紳士ってあの紳士ですか?」
「そうだよ、あの紳士だよ」と彼は言った。


「紳士であることだ。自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」
村上春樹 ノルウェイの森

これまで、僕はやりたいことをやり、言いたいことを言ってきた。
特に大学4年間に関しては、本当にやりたい放題だった。自分が思ったことは殆ど全部口にしてきたし、やりたくないことは回避してきた。気分が時間単位でコロコロ変わり、予定はたいてい変更される。昨日言ったことと今日言ったことが矛盾する。人の話をロクに聞かないくせに、人から注意されたり批判されるとムキになって言い返したりする。とにかく、自分に素直に、生きてきた。
で、23の終わりの今更になって、そろそろいいかな、と思い始めてきた。
いわゆる、『紳士』なるものを目指してみようかと。
当然、この『紳士である行動規範』というのが言葉で表せるほど簡単なものではないし、何よりも、僕は昨日言ったことをすぐ撤回できてしまう人間なのだ。まったく重みがない。



 楽しみを求めて生きていくのが人生だと思うけれど、その楽しみにもいろいろあるし、特に、時間をかけないと楽しめないものと、短い時間でぱっと楽しめるものに大別できる。だいたい、前者の方が楽しみは大きい。手っ取り早くその日で楽しめるものばかりしていると、(普通の感覚の人ならば)ときどき虚しくなる。もっと長いスパンの大きな楽しみを求めたくなるだろう。でも、途中で厭きてしまったり、最後まで行き着かないことが予想できる。ここが難しいところだ。
 僕はどうしているかというと、だいたい気が短くて長続きしない飽き性だと自分を把握しているので、長く持続させるためには、適度に短い楽しみを挿入していく以外にない、と考えている。長いものをやりつつ、短いものも幾つか手を出す、という手法だ。どちらにしても、1つだけのことをする、というのは僕には合わない。
 気がついてみると、小説もこの手法を使っていたようだ。長いものは書けない。でも、長い物語もやりたい。だから、短いものを書きつつ、それが繋がるようにした。鉄道模型がこんなに長続きしているのも、この遊びにはいろいろな要素があって、車両だけでなく、線路や施設や風景までも取り込むことができるからだ。機関車だけをひたすら作るモデラが、どちらかというとこの世界には多いと思うけれど、そういった一点集中の性能が僕にはない。
MORI LOG ACADEMY 2008/12/21

時間をかけないと楽しめないもの、短い時間でぱっと楽しめること。
やるべきことをやること、やりたいことをやること。
共通性があるように見える。
2009年は、できる限り、紳士の方向へ自分を傾けていきたい。そう思った。