未来のレバ刺し。

初めてクロスバイクに乗ったのは23歳の夏だけど、もし、大学1年の18歳の時に、クロスバイクに乗れていたら、この世界を知っていたら、きっと恋愛なんてしなかっただろうし、今頃はアフリカ大陸縦断でもしてたんじゃないだろうか。
と、割と本気で思ってる。
が、おそらくきっと、『自転車に乗らなかった過去』を持った自分だからそう思うのであって、たとえ18の時にスポーツバイクの世界を知っても、まあそんな変わることはなく、今現在に戻っても大して変わらない人生を歩んでるんじゃないだろうか。
結局のところその時その瞬間、どんな世界が見えてどう捉えられるか、更にその見えてる世界だって、どれくらい自分の足を使って探せたものか、その世界を信じれたかどうか、どれくらい正確な判断ができたか、そもそもそんな『道選び』に正解があるのか、結局結果論じゃないのか。
タラレバの話をしてもキリがない。でもレバ刺しは好きだ(おっと筆が滑った)



「アイツは運が良かった」とか「才能の違いだ」というのが、何故か、「アイツはズルイ」というニュアンスに変わってしまうのは何故か。
運が良くて成功した人は、神様が下した「奇跡のタイミング」がいつきても対応出来る準備をしてきたし、才能だって、それが誰もに認められる前に、見つけ出し、磨いた人がいるわけで。そういうのを分かってる上で上記の言葉を言う(言える)人ってどれくらいいるのだろう。
少なくとも僕はいえない。きっと、「才能を発揮している人」以上に頑張り、自分を高めた結果、それでも追いつかなくなった時にいえると思う。



先日、親しい友人から「君は人徳がある」といわれてビックリした。そんなこと考えもしなかった。
ただ、本当に、恵まれていると思う。周りの人間は、ビックリするぐらい、僕に優しい。
だから、自分の人徳なんてものを、ちょっとだけ、信じてしまっている僕がいる。
『何故こんな僕にそこまでしてくれるの?』という疑問が、人徳と運以外、何も考えられない。



これから履歴書を送る。
送った先で、自分が採用される可能性は極めて低い。
しかし、大事なのはそこではない。
超絶自意識過剰なことを言わせてもらえば、今、人生の岐路に立っている。正直、自転車を担いでアフリカ大陸に行くかどうかぐらい、岐路に立っている。
たとえこの先の話がうまくいってもうまく行かなくても、僕はしばらく「自分の夢」なるものを諦めない気がする。そして自分の夢のために、すべてを捨てる覚悟をする。



ひょっとしたら今、履歴書を送らず、もっと堅実な生活を望むのもまたいいと思う。ひょっとしたら素敵な伴侶が出来るかもしれない。その先には素晴らしい生活が待っているかもしれない。あの時夢を諦めてよかったと思うかもしれない。また逆もある。人生で一度のチャンスを見逃してしまったことを一生悔やみ続けるかもしれない。パラレルだ。人生はマルチエンド。未来へのタラレバは過去より複雑だ。きっと未来のレバ刺しは過去より美味しい(おっと筆が滑った)
すべてを捨てる準備がある。
人生をかける覚悟がある。
ただ、夢のために。




酔っている。自分は酔っている。夢のためにすべてを捨てる自分に。
どうか醒めませんように。



この日記は、何も持ってない、不甲斐ない、どうしようもない、3ない人間が、己の夢と野望に向かって、あらゆるものを利用しながら、戦い続ける日記です。
エンディングはまだ、決めてない。